「やあ」 「やあ、なんだい、にやにやして」 「これこれ」 「これこれ?なんかいい事でもあったのかい」 「わからないかなこれだよ」 「君、今日は帽子をかぶっているね.そのくらい分かるよ」 「そうかい、分かるかい」 「そんなの目が付いているんだ分かるよ、でも何がそんなに嬉しいんだい」 「それは、嬉しいさ。いいだろうこの帽子、高かったんだ」 「ふーん、それは良かったね」 「なんだい、もっと喜んでくれたっていいだろう、ひょっとして、うらやましいんだろう」 「いや、別に君が帽子をかぶっていようがいまいが僕には関係ないよ」 「なんだよ、もう少し、言葉があってもいいじゃあないか」 「どんなだい」 「例えば、それ、似合っているねとか、カッコいいとか、何処で買ったんだいとかね」 「うーん、まあ、似合っていないことはないよ」 「そうかい、やっぱり」 「でも、何がそんなに嬉しいんだい、さっきから、にやついているよ」 「にやついているとは侵害だな、爽やかな笑顔だとか、にこやかだとかいってくれればいいものを」 「たいして、意味は変わらないだろう」 「いや、変わるね、にやついているなんて、なんか、僕がよからぬ事を考えているみたいじゃあないか」 「そうかい、そうでもないと思うんだけどね」 「いや、そんなことあるさ」 「君に爽やかな笑顔とか、にこやかって言うと、気持ち悪い様な気がするんだけどね」 「確かに、君がそんな言葉をいうと気持ち悪いな」 「そうだろう、人によって言葉は、意味がたいして変わらないのに、おかしいと思われることがあるんだ」 「うーん、確かに、筋肉ムキムキきの男が、あら、やだー、おかしいわ、なんて言葉を使うと、背筋がぞっとするね」 「そうだろう、見た目、おしとやかそうな、女の人が、それって、おかしいじゃねーかよ、なんて言うのを聞くと、幻滅するね」 「そうだな、言葉って、イメージがあるね」 「でもさ、女の人が、あらおかしいわ、なんて語尾に、わ、とかをつけるのは今はあまり聞かないね」 「そうかな、ドラマなんて、そうだわ、あらおかしわ、なんて聞くけれどね」 「そうかい、ドラマとかみないから分からないけれど、女性が語尾に、わ、とつけても何も感じないけれど男性が語尾に、わ、を つけると違和感を感じるね」 「それこそ、おかまや、ニューハーフになってしまう」 「そうか、おかまや、ニューハーフの人たちが使う言葉が女言葉なんだよきっと」 「そうかもしれないね、女っぽさを追及しているんだろうああいう人達はきっと」 「ということは、男の中の女なんだ」 「それを言うならば女の中の女だろう」 「いや、どちらでもいいさ同じ人間なんだし」 「まあ、そうだね」 「そうさ」 「ところでさ、僕の帽子はやはりいいだろう」 「帽子のことはよく分からないよ、そもそも帽子って日差しをよけたりするためにあるんだろう。日差しさえ遮ってくれればどうで もいいんだよ」 「いや、この帽子は、汗も吸い取ってくれて蒸れないんだ。機能面も申し分ない」 「君はその帽子を機能で選んで買ったのかい、それとも、デザインがいいから買ったのかい」 「両方さ、それはそうだろう」 「ふーん、おいらは、機能がよければ形なんてどうでもいいけれどね」 「そんなの嘘さ、形も機能も両方が良くなければいけないね」 「でも、機能に頼りすぎるとデザインはある程度決まってしまうんじゃあないのかな、それに、デザインを優先させすぎると、機能 が悪くなるんじゃあないのかな」 「そんなことないさ」 「そうかな、わからないな」 「そこら辺の所は今度にしよう」 「まあ、どうでもいいんだけれどね」 「じゃあ、また今度」 「何も、帽子をとって、おじぎなんてする必要ないのに」 さて、これから夜が長くなっていきます。 夜が長くなってもあまり関係ないですよね、現代では。 でも、自然と共に働いている人には関係ありますよね。 秋の夜長は、やはり、読書。 なんだか、秋になると読書に励みたくなるような気がするから不思議です。 気候も暑くもなく寒くもなく、 日に日に日暮れが早くなっていき哀愁が沸いてきますね。 秋の心、なんだか、溜息がつきたくなってしまいます。
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