目を閉じ、全身に力を入れ、布団の中で丸まっていた。 体の温かさが布団に伝わり中は暖かいはずなのだが、その暖かさは一瞬感じ取れるだけで凍てつく寒さが全身にめぐ っていた。 昨晩は、何もかも忘れて眠りに落ちたはずなのに目を覚ますと震えが止まらない。 混沌とした意識の中から覚めれば覚めるほど寒さは増していった。 目を開けるとどうしても寒さが限界に達してしまうため二度と目を開けるものかと瞼に力をいれ固く目を閉じた。 どうする事もできない。どうやら寒さがやわらぐのを待つしかないのだろう。 昨日は、一日仕事が休みだった。泰子(やすこ)がどこか遠くに行きたいというので、朝から車を運転しドライブに 出かけた。 家を出て泰子をアパートまで迎えに行った。アパートの前に車を止め三階の302号室のインターホンを押すとドア が開き、中から「はーい」と泰子は笑顔で出てきた。 泰子は既に出かける準備が出来ているようであり「少し待っていてね」とブーツを履いた。 僕は、彼女がブーツを履いている間、ドアを持ち泰子が大変そうに履いている姿を見ていた。「何で、そんな履きに くいものをはくんだ」と僕は言おうと思ったが止めた。 履きたいものにけちをつけてもいいことはない。それに、ブーツに失礼というものだろう。履かれる為に生まれてき たのだからブーツには履きにくい分、人に何か訴えるものがあるのだろう。だから、履きにくくてもブーツは履かれ る。 泰子はブーツを履き終えると「ドアを持っていてくれてありがとう」と僕に言った。 僕たちは、車に乗り込み彼女のアパートから離れた。 「なあ、遠くって何処に行きたいんだ」 「海の向こう」 泰子は前方を見据えて言った。 「海外かい、それは、ちと、無理だね。何しろ時間がないし、パスポートも持っていない」 「馬鹿じゃあないの、何処か海の上に架かっている橋があるでしょう。その橋を越えて海の向こう側に行けばいい の。少しは頭を使ったら」 「そういうことか、でも、俺はそんな場所知らないな。近くの高見海岸なら知っているけど」 「そんな所行ったら首を絞めるからね、えーとね、場所は私が教えるわよ。だから、貴方は運転に集中しなさい」 泰子は僕を見据えて言った。 僕は、泰子の方を向き笑顔を見せた。 「ほら、ちゃんと前を向いて運転しなければ駄目じゃあないの。運転に集中して」 「はいはい、わかっているよ。でもさ、何で海の向こうなんて行きたいの、それに何でそんな場所を知っているの」 僕は、泰子が何故そんな場所に行きたいのか分からなかった。普段は、遠くに行くと疲れるから嫌といって、あまり 遠くに行きたがらなかったからだ。 僕は、ドライブが好きで、何時間でも車を運転していられる。だから、以前泰子を連れて山の方へ二時間ぐらいドラ イブをした事がある。泰子は、遠くへ離れれば離れるほど不機嫌になり、もっと上手に運転しろ、へたくそだとか、 わざわざ、遠くへ来て何をするのとか、すれ違う車に、あんな車に乗っているなんてどうかしているとか、なにかし らにつけ文句を言うようになり、しまいには泣き出してしまった。 だから、僕は、泰子とは、あまり長距離のドライブをしていなかった。 ドライブをするのはたいてい、僕たちが住んでいる市内を回るだけだった。市内ならば、何時間走っていようが泰子 は気にも留めなかった。 僕にとってはそれが救いだった。 ごく、たまに市内から離れて遠くに行く時があるのだが、泰子はたいてい、疲れたからもう帰ろうと言った。 そんな泰子が自分から遠くに行きたいと僕に電話を掛けてきた。 僕は、冗談で言っているのだと思い市内を回るつもりで来た。 だが、自ら場所を教えるといっているし、どうやら冗談ではなさそうである。 「貴方はなんでそんなことを聞きたいの、聞いてどうするの」 「何いっているんだよ、俺が運転しているんだ。行くのは泰子と俺の二人じゃあないか」 「そんなに剥きにならないでよ、今のは、冗談だよ。海の向こうに行きたいのは、あっ、次の信号を左に曲がって高 速入って今野インターで降りてね。えーと、そう、行きたいのは私の曾ばあさんが暮らした所だからよ。私は一度も そこへ行った事がないの」 車は高速に入った。泰子は高速に乗っている間話し続けた。僕はただ、泰子の話している言葉を聞き、適当に短く相 槌を打ち前方を見据えハンドルを握っていた。 泰子は機嫌がよかった。車を運転して既に二時間経過していた。 泰子の曾ばあさんは一人で生きた人物であるという。 農家の三人兄弟の末っ子として生まれ、上二人に兄がいたそうである。曾ばあさんはとても可愛がられた。上二人が 兄ということもあって、とても活発で、男の子と相撲をしては泣かしていたそうである。 そんな、曾ばあさんは、十六歳になると恋に落ちた。その相手は、商家の息子でとても秀才で美男子で金持ちで、何 一つ欠点がない嫌味な、いや、違った、その町で知らない人がいないほどの人物だった。 その曾ばあさんは十七歳でその商家の息子との間にできた男の子を産んだ。それが泰子の祖父にあたるらしい。 曾ばあさんは祖父を育てなかった。いや、育てなかったというより育てられなかった。 農家の娘が商家の息子と結婚するなんて許されなかったからである。泰子の祖父は商家にひきとられて商家で育っ た。 息子と会えない曾ばあさんはとても落ち込み、海に飛び込んだ。自殺するつもりだったのだろう。断崖絶壁から飛び 降りたそうである。でも、曾ばあさんは生きて海の向こうの離れ小島に流れ着いた。 当時は橋が架かっていなかったから離れ小島への行き来は船でしていた。 曾ばあさんがその離れ小島に居ると何かのうわさで聞いた泰子の曾祖父は曾ばあさんに会いに行ったそうである。 曾ばあさんは曾祖父の事を思い出せなかった。記憶喪失になっていたようなのだ。曾ばあさんは、海の向こうの小さ な漁師の家でひっそり暮らしていた。 何度か、曾祖父は内緒で曾ばあさんに会いに行った。何度か会いに行くと曾ばあさんは曾祖父と再び恋に落ちたよう である。 「でもね、曾ばあさんは曾じいさんのことをある日思い出したのよ。それで、どうなったと思う」 「曾じいさんと、その島で暮らしたとか」 「違うのよ、曾ばあさんは曾じいさんの事を思い出すとね、曾ばあさんはそれっきりその漁師の家には居なくなった のよ。何処かに行ったのよ」 「ふーん、それっきり何処かへ行ってしまったんだね」 「違うわよ。そうじゃあないの」 「だって、今何処かへ行ったって言ったじゃあないか」 「何処かへ行ったというより、山の奥の方で自分で家を建てて暮らしたみたいなのよ。野菜を作ったりなんだりして ね」 「へー、自給自足の生活をしたんだね」 「そうなのよ、曾じいさんとは絶対に顔を会わせなくなったのよ」 「頑固なんだね」 「何言っているの、当たり前でしょう、だって曾ばあさんを追い出したっていうのに記憶喪失にかこつけてまた会う のよ、それで恋に落ちるなんていやらしいわよ」 「まあ、そうだね、でも事情があったんだろう、仕方がないさ」 「それならば、駆け落ちをしたっていいじゃあないのよ、物語ってそうだわ、本当に愛しているんだったら家が何 よ、駆け落ちするべきだわ、そう思うでしょう」 「まあ、そうだね、でも唯一の救いは曾じいさんが曾ばあさんの所へ会いに行ったっていうことになるだろう」 「会わなければ良かったのよ、そうすれば曾ばあさんは一人で暮らす事になんてならなかったのよ、そうでしょう、 漁師の家で暮らしていたんだから、その辺の漁師の素敵な人と結婚すればよかったのよ」 「それはそうだね」 「そうよ、絶対そうよ。そんな曾じいさんの血をひいていると思うと私は悲しくなるわ」 |
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