母親が、風邪をこじらせ肺炎で入院した。 小学四年生の夏休みの事だった。 「雅俊(まさとし)お母さんね、風邪をひいて少しだるいから病院へ行ってくるね」 と、母親は出かけていった。 「うん、いってらしゃい」 僕は、テレビのアニメを観ている最中でテレビの画面を見据えたまま言った。 テレビのアニメが終わり、退屈になった僕は冷蔵庫に首を突っ込んで何か食べるものがないか探していた。 その時、電話がかかってきた。「お母さん電話」と言おうと思ったが、母親が居ないのを思い出した。 僕は、最初、無視しようと思った。だが、電話のベルは何か訴えかけているような音で鳴り響いていた。 僕は、冷蔵庫のドアを閉めベルの元へ歩みより受話器を取った。 「もしもし」 僕は、ありったけやる気のなさそうな声で話した。もし、気が短い人なら怒鳴られていても仕方ない。 「もしもし、雅俊」 電話の相手は母親だった。 「お母さんね、今病院なんだけど、二、三週間入院する事になったの」 「えっ入院、お母さんどこか、悪いの?」 「ううん、心配する事ないの、ただ、疲れが溜まってね、病院で休む事になったの。それでね、お父さんの会社に電話して、早く 帰ってきてもらう事になったから、お昼ご飯はお父さんと食べてね。後の事は、お父さんに任せるから、心配しなくていいから ね。お母さんがいないからといって遊んでばかりいたら駄目よ。じゃあね」 僕は、何か言おうとした。 だが、言う事を思い付く前に電話は切れていた。 母親らしい、一方的な話し方であった。 入院と考えると少し心配だったが、母親の話し方を聞くとそれほどひどいとは思えない。それよりも、貴重な夏休みの数週間、 羽が伸ばせると思い、嬉しかった。 再び、冷蔵庫に首を突っ込み食べ物を物色した。冷蔵庫の中は、ひんやりしていて気持ちいい。 そのうち食べ物を物色するのをやめ、冷蔵庫を開けたり閉めたりして、ひんやり感を楽しんで遊ぶようになっていた。 「雅俊、何をしている」 僕は、ビクッとした。 冷蔵庫から首を出し、声のした方を向くと父親が僕を見据えていた。父親が帰ってきたのである。 「そんなことしていたら、中の物が腐ってしまう」 父親は低い声で言った。 僕は、冷蔵庫を閉め、父親を見据え、ただ、黙っていた。 父親は、無口で必要以上の事を話さない。 そんな父は僕をしばし萎縮させた。 「これから爺さんの所に雅俊を連れて行くからな」 父親は僕を凝視して言った。 「爺さん?」 「そうだ、爺さんだ」 父親はそう言うと、僕に背を向け「付いてこい」と言った。 僕は不思議だった。爺さんは、戦争に行って死んだと話に聞いてたからだ。 僕は父親の車の助手席に乗り込んだ。 父親はハンドルを握りエンジンを掛けると僕を一瞥して 「いまから、父さんの父親である爺さんの所へ行くからな」と言った。 父親の運転する車は家を出て、いつもの見慣れた市街地を通りすぎ次第にカーブが連続する道を走った。トンネルをいくつも通 り、道は狭くなっていった。 父親は、前に走っている車を何台も抜き、タイヤを鳴らしながら黙々とカーブを走った。 家を出て二時間程経ったのだろうか、父親は忙しそうにハンドルを動かし、おもむろに話しだした。 「いいか、雅俊、母さんは肺炎で入院した。今まで母さんは、病気を何もした事がない。だが、今回入院する事になった事で雅 俊に爺さんを合わせる時期がきたことを示唆している」 「しさ?」 「そうだ、示唆だ。爺さんと会わなければいけないということだ」 父親は、そう言った。 僕には何故、母が病気になると爺さんに会わなければならないのかわからなかった。 「爺さんは今でも一人、山奥で暮らしている。父さんが生まれたのは山奥だ。だが、父さんが小学校に入学する頃になると爺さ んは、父さんの母さんである婆さんに街へ出て行けと言った。婆さんは、それに従い父さんを連れて街へ出た。街に出ると既に 家が用意してあった。それが、今住んでいる家だ。そして、婆さんと二人で暮らした」 父親のこういう話は、この時初めて聞いた。だが特にどんな感情もおこらなかった。父親は元々無口だし、僕は、どんな事があ ってもたいてい受け入れるようにしていたからだ。 「爺さんは何で婆さんに出て行けといったの。離婚したの」 僕は、思った事を口にした。 「離婚はしていない。何故、婆さんに出て行けといったのかは、分からない。まだ、父さんが子供の事だったし婆さんに聞いても その事について、何も教えてもらえなかった。ただ、家は山奥の木を売ったお金で爺さんが建てたらしい。それに、父さんが覚 えている限り一度も喧嘩をし た事もない中の良い夫婦だったように思う」 そこまで言うと、父は車の速度を落とし黙った。 そのうち車は振動し、舗装されていない道路を走りはじめた。 草木が、両脇から生い茂り車のボディーを擦り付け、前方は道なのか道でないのかよく分からなかった。それでも父は車を一 定の速度で走らせハンドルを機敏に動かした。 僕は「大丈夫なの」と大きな声で言った。 父親は運転に集中していて聞こえなかったのか、話す暇がないのかよく分からなかったが、何も話さなかった。 草木は進めば進むほど生い茂り、車は上下に激しく振動し、ボディーは不快な音を醸し出していた。 僕は、目を瞑り全身に力をいれた。 そのうち、父親は「これ以上いけないな」と呟き車を停めた。 僕は、目を開けると、辺りは暗かった。 前方は、大きな木が道をふさぎ、辺りは木々が鬱蒼と茂り、森の中へ迷い込んでしまったのかと思えた。 父親は、「もうすぐ爺さんが来るだろう」と言った。 僕は、山の中の何処から爺さんが来るのか分からなかった。周りを見渡したが、道らしきものがなく、木がそびえたっているだ けだった。 「何処から爺さんが来るの」僕は聞いた。 父親は、「ここの山中の何処かからだ」と答えた。 ぼくが、父親を見据えていると、 「そんな、不思議そうな顔をするな。爺さんにとってここは庭みたいなものだから何処から来てもおかしくない。父さんも爺さんと 会うのは、爺さんの家を出てからこれで三回目だからな」 と言い前方を見据え微笑んだ。 「父さんと母さんが結婚すると決まった時、爺さんに知らせたくて、婆さんと、母さんと、三人でここまで来た事があるのだ。婆さ んが道を教えてくれてな、今みたいに来られる所まで来たのだ。 その時は、もっと道が良くて、草木は今みたいに生い茂っていなかった。それでな、車の中で待っていると、爺さんがそこの大 きな木の横から現れた」 父親は、右側にある大きく真っ直ぐ伸びた木を指で差した。 「婆さんが、ほら、あそこと指を差してな、皆で見ると爺さんがにこにこして歩いて来て、良く来た。と言ってな、父さんに、おめで とう。と言った。そして、どこをどうやって歩いたのか分からないが、山の中を歩いて爺さんの家へ行ったのだな」 父親はそこまで話すと、窓を全開した。 気持ちいい風が入り込み、夏だというのにひんやりしていた。 「それでだ、二回目は、母さんと二人だったな。」 後ろから父親の声が聞こえた。
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