3−2爺さんの領域
                                               
鳥のざわめきで目を覚ました。無数の鳥達が朝を来た事を喜び談笑しているようだった。
その中に、一際、際立つ鳴き声が聞こえた。

「キロッ、キロッ、キロッ、オー」

トランペットのような声で、とても響いていた。

僕は、体を起こし、暫くの間、鳥の声に耳を澄ましていると襖が開いた。
「よく寝たわね」
襖の方を見ると、髪の長い、白い着物を着た若い女性が微笑みながら僕の方へ歩いて来て横に座った。
顔は、透き通るように白く、赤い唇が際立ち、甘いとてもいい香りがした。
「顔が赤いけど、気分はどう」
その女性は言った。とても落ち着いた綺麗な声だった。
「気分は、悪くない」
気分は、爽快だった。だが、気分が爽快だということを悟られるのがはばかれたので、わざと素っ気無く答えた。
「そう、ここにきてから、二日も寝ていたんだものね」
「えっ、二日も寝ていたの」
「そう、家の中に入ると、すぐ倒れるように寝てしまったのよ。爺さんから言われて、食事を用意してあったのに」
「一日、寝ただけだと思った。食事を用意してもらっていたのに、ごめんなさい」
「何も謝る事はないのに。雅俊君優しいのね」
女性は、微笑んだ。
「そうそう、食事の用意がしてあるからこっちに来てね」と女性は、立ち上がり僕に背を向けた。
僕は、何か大切な事を忘れているような気がした。
「ちょっと、待って」と僕は言った。
女性が振り返り、僕を見据えた。女性の目を見ると、宇宙に吸い込まれるような感じがした。
僕は、女性から目を逸らし、「名前を聞いてもいい」と言った。
「そう、そう、まだ、名前をいってなかったわね。ごめんなさいね。つい、うっかりしていたね。私は、葵(あおい)よ」と言った。
僕は、天井を仰ぎ見て、青い色を想像した。
「色の青いじゃあないわよ」と僕の方に来て「手を出して」と言った。
彼女の方に右手を差し出すと、僕の手のひらに葵と漢字で書いた。
僕は、漢字を容易に想像する事ができた。頭の中に葵という文字が情景として浮んできたのである。
「こうやって書くの分かった」
僕は、うなずき、「葵さん」と言った。
「なあに、雅俊君」
「いや、何でもないよ」
と、僕が言うと、葵さんは、微笑み部屋を出ていった。
ほんわり、葵さんの香りが部屋の中に漂っていた。

「キロッ、キロッ、キロッ、オー」

鳥の声が一日の始まりを告げているよだった。
「そう言えば、鳥の名前も聞いていないや、聞けば良かった」
僕は独り言を呟いた。

襖を開けると大きな木の切り株が見えた。直径二メートル程あるだろうか。
ニスが塗ってあり、黄色く光り、脚が四本取り付けてある。
大きな卓である。
その上には、湯飲み茶碗が三つ乗っていた。
「やっと、起きたようだな」
左側から爺さんの声が聞えた。
左側は、玄関のようであり、引き戸が開け放たれ、日の光が射し込んでいた。
爺さんが外から、日の光を背に入ってきて、大きな卓に手を付いて座敷に胡座をかいて座った。
「雅俊、そこに座れよ」と爺さんは言った。
僕は、肯き、爺さんに向かい合って座った。
爺さんは、外を眩しそうに見て湯飲み茶碗を手に持った。
「葵、お茶は、出来ているかね」
葵さんが、急須をもってやってきて、三人分のお茶を入れた。
そして、僕の隣に座った。
爺さんは、お茶を一口飲むと「葵の入れるお茶は、格別だな」と微笑んだ。
葵さんは、ただ、微笑んでいるだけだった。
「雅俊君、まずは、お茶を飲んでね。飲み終わったら、食事を持ってくるからね。私も、いつも、お茶を飲んで一休みするの。以
前、爺さんのお茶だけ入れておいてね、食事の用意をしていたら、爺さんが、お茶を一緒に飲んで、それから、食事を持ってこ
なければいけないって言うから、そうするようにしたの。そしたらね、料理がはかどるし、気分が良いの」葵さんは言った。
「ふーん」僕が肯くと、葵さんは、にっこり微笑んだ。
僕は、一口お茶を飲んだ。
そのお茶の味は、格別のものだった。
普段、僕は、お茶など飲まない。飲んでも、たいして、おいしいとも思わなかった。
苦いだけの、飲み物だと思っていた。
だが、葵さんの入れたお茶は、苦いし、甘いし、良い香りがして、とてもおいしかった。
これで、一つ大人になったような気がした。

「キロッ、キロッ、オー」

鳥の鳴き声がした。
「おー、今日は、よく鳴くな」爺さんが言った。
「この鳥ってなんていう名前なの」僕は、聞いた。
「この鳥か、この鳥はな、名前なんてないな。図鑑で調べても載っていないし、この鳥の鳴き声が聞こえない人もいる。ここにい
る三人は、皆、聞こえるがな」
「あら、名前は、目覚め鳥じゃあないの。私は、そうやって教えられたわ」
「そうやって、呼ぶ人もいるな。本当は、名前などないのだ。目覚め鳥と言ったって、鳴き声が聞えない人にとっては、何も無い
と同じだからな。目覚め鳥は、聞こえる世界の人だけの名前であって、本当の名前ではないな」
「そうでした。そうだったわね。ここへ来たときに、そう教えてもらったものね。私の中の世界と普通の人の世界は、違うのでし
た。でも、雅俊君も聞こえる事ですし。目覚め鳥と教えたっていいと思うのだけど」
葵さんは僕を見つめた。
僕は思わず肯き、「葵さんの言う通りだと思う」と言った。
爺さんは、僕の方を見て、声を出して笑った。
「わしだって、この鳥を呼ぶときは、目覚め鳥だと教えるつもりだったがな。まず、初めに名前は無いと、雅俊に教えなければい
けないのだな。雅俊は、ずっと、ここにいるわけではなく、聞こえない人の世界にいる方が多いのだからな。どうも、若い者はせ
っかちだな」
葵さんは、「そうですね」と爺さんと一緒に笑った。
僕も、一緒になって笑った。

「葵が来た時も、目覚め鳥がよく鳴いたぞ」
爺さんは言った。
「その話は食事の後にしましょう」と葵さんは、立ち上がり、台所へ行った。
葵さんが立ち上がった時、とても良い香りがした。
「この、香りも感じる事ができる人と、できない人が居るのだろうか」
僕はふと思った。





                      


        
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