風か何かの影響で後ろから父親の声が聞こえたと思った。それでも、後ろが気になり振り向くと、白髪で父親にそっくりの老人 が後部座席に座っていた。 「大きくなったな。雅俊」 老人は、父親そっくりの声で微笑んでいた。 「まだ、雅俊が母さんのお腹に居る時に会ったきりだものな」 と老人は、僕を見て言った。 「爺さん、いつのまに。」 父親は後ろを振り向き、いつもは聞いた事のない高い声で言った。 その声は、子供の声のようでもあった。 僕は、この人が爺さんだと納得した。 僕が、父親を見て萎縮するように父親も爺さんを見て萎縮しているようであった。 「なんだ、気付いていなかったのか。お前がここに到着した時から居るじゃないか。話を黙って聞いていようと思ったがな、つい つい、話しかけてしまったのだ」と爺さんは言った。 僕は、なんだか、おかしかった。 父親とそっくりの顔をし、父親と同じ声をしているのだが、雰囲気がまるで違うのである。爺さんは、いつも笑顔を絶やさないとい うのか、爺さんを見ていると不思議とこちらまで嬉しい気分になった。 「ほれ、話の続きをしないか。雅俊が聞きたがっているぞ」と爺さんは言った。 「それは、爺さんが話したいのでは」 父親がそう言うと、爺さんは 「そうだな、こんな、狭いところでは、なんだな。わしの家に行って、お茶でも飲みながら話そうか」と言った。 「それもそうだ。なら、じいさんの家へ行こうか」 父親は爺さんの方は向かず、前方を見たまま言った。 「それでは、行くか。」 爺さんは外に出た。 その時、ドアを開閉する音が全く聞こえなかった。 爺さんがドアを開けて外に出る所を見ていたのだが、特に静かにドアを開閉した様子はない。普通にドアを開けて、閉めたのだ が、全くといっていい程、音がしなかった。 僕が外に出ようとすると、「雅俊、少し待て」と父親は言い、外にいる爺さんに向かって「雅俊に話したい事があるから、待ってい てくれ」と言い、窓を閉めた。 僕が、父親の方を見ると、父親は、僕の左肩に右手を置いた。 「いいか、父さんは雅俊と一緒に、爺さんの家へは行けない。爺さんと、父さんは、根本的に合わないのだ。嫌いとかそういう問 題ではなく、根本的な問題なのだ」 僕は、とりあえずうなずいた。 「家の人間は、爺さんの言う事を、誰も逆らえない、今回、雅俊と爺さんを会わせるのは、すべて爺さんの指示なのだ」 「えっ、爺さんと、いつ話したの。連絡がくるの。」 「それは、爺さんと会った時に聞いた事なのだ。二回目に父さんと母さんが爺さんに会った時、母さんが入院するような事があ ったら、子供を連れてこいと言われたのだ」 父親は、そこまで言うと、僕の肩を二回叩き、「詳しい話は、爺さんから聞けるだろう。雅俊は、爺さんと合うからな、根本的に」 と言った。 そして、窓を開け、爺さんに「俺は帰るから雅俊を頼む」と言い、僕に目で外へ出るように促した。 爺さんは、「何だ、浩志(ひろし)は来ないのか」と言った。 父親は、舌打ちをし、「分かっているくせに」と呟き、 「仕事があるから行けない。」と言った。 「それは残念だ。」と爺さんは肩を竦めた。 僕は、「根本的に」という言葉を頭の中で反芻しながら外に出た。根本的という言葉がどういう意味か、よく分からなかったし、 父親の言っている事もうまく呑み込めていなかった。 僕が、ドアを閉めると、不思議な事にドアの音がしなかった。 父親は、来た道をバックで帰った。 エンジン音が、聞こえなかった。いや、ここに到着してから、エンジン音は、ずっと聞こえていなかった事に気付いた。 「さあ行くかの」と爺さんは言った.. 木が鬱蒼と茂る森の中を歩いた。 辺りは昼だというのにほとんど、真っ暗である。 道があるのかないのか分からない。 木と木の間を縫うように、蛇行しながら急勾配を歩いていた。 僕は、爺さんの後を着いていった。 爺さんは、両手を後ろで組み、ゆっくりと同じペースで歩いていた。 歩き始めた時は、「年寄りは歩くのが遅いな」と思っていた。 だが、次第に息をするのがきつくなり、爺さんから遅れまいと、必死になって着いていったが、途中で、その場に座り込んでしま った。 心臓の鼓動が激しく鳴り響き、森の中でこだまするかと思えた。 爺さんは、後ろを振り返り「街の生活に慣れすぎたせいで足腰が弱っているな。これはいかんな」と微笑み僕を見据えた。 「心臓の鼓動が聞こえてしまったのか」と思った。あるいは、聞こえているのかもしれない。 僕は、年寄りに着いていけないのが、恥ずかしく、情けなく、悔しかった。 「それでは、少し楽にしてやろうか」 爺さんは、僕の肩を二回叩いた。 すると、急に体が軽くなり、今まで鳴り響いていた心臓の鼓動が鳴り止んだ。 静かだった。 その時、「何かが、潜んでいて僕たちを付けねらっているのではないか」と思えた。 爺さんは、微笑み、何も言わずに歩き出した。 僕は、爺さんの後を着いていった。 三十分程、歩いただろうか、足取りは軽く、息が切れる事がなかった。 辺りは、急に明るくなり強い日差しを受けた。 日の光には音があった。実際に音が聞こえるわけではないが、少なくとも無音ではない。 目の前に、大きな池があり、中央に橋が架かり、その向こうには、瓦の屋根の大きな屋敷が見えた。 爺さんは、池の橋の上で立ち止まり、僕の方を振り返り、「水を見てみるがいい。」と言った。 池の水は透明で澄んでいるが、底が見えなかった。 「何か、見えないか」爺さんは、言った。 「何も見えないよ」 「それは、よく見ていないのだ。いいか、見るということは、何も考えてはいけない。 頭の中の言葉を消して、見る事に集中するのだ。そうすると、ありのままの物がみえてくる」 「だって、何も見えないよ。ただ、水があるだけで、その先は、ぼやけているだけだもの」 「そんなに、遠くを見ようとせず、もっと、近くをみるのだ」 僕は、近くを見ようとした。だが、近くを見ているのか、遠くを見ているかよく分からなかった。 「どうだ、なにか見えるか」 僕は、首を横に振り、「何も見えない」と答えた。 すると爺さんは、僕の目の前に手を広げ 「この手を見てみるのだ」と言った。 僕は、暫くの間、爺さんの手を見ていた。 「何か見えないか」爺さんは言った。 「僕の顔が見える」 「そうだ、まずは、顔が見える」 いつの間にか爺さんの手が目の前にはなく、池の水を見ている事に気付いた。 暫く、僕の顔を眺めていると顔を何かが通った感触がした。 僕は、咄嗟に顔に手を当てた。 「どうした」爺さんは、にこやかに言った。 「何かが、顔を通った。」 「何も顔など通っていないぞ、もう一度、池の中を見てみるといい」 僕は、うなずき、池を見た。 すると、うなぎのような長くて透明な魚が無数にうごめいている事に気付いた。 その魚は、色が無い。何もかも透明で、輪郭だけが、うっすら、白くぼやけていた。 「魚が居る」 ぼくが、声を張り上げて言うと、 「魚が見えれば上出来だ。何しろ、父さんは、その魚が見えなかったからな」 と言った。 「父さんが」 「ああ、そうだ、雅俊の父さんだ」 僕は、父さんが見えないと聞いて何だか嬉しい気分になった。 「この、魚はなんて言う名前なの」 「名前などない。あるのは、存在だけだ。だが、この魚は、普通の人には見る事が出来ない。見る事が出来るのは、ありのまま を受け入れる事が出来る者だけだ。」 と爺さんは言った。 僕は、なんだか、納得したような気がした。 「さあ、行くぞ」爺さんはそういうと両手を後ろで組み歩き出した。 爺さんの手から、糸のような物が僕の方へ伸びているのが見えた。 今見た魚と同じように透明だった。 それを、たどると、僕の腰の辺りに巻き付いていた。
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