3−3爺さんの領域
                                               
葵さんは食事を運んできて大きな卓に置いた。それは、ご飯に味噌汁、胡瓜の漬物と、とても質素なのだが、格別のおいしさ
だった。
普段、僕はご飯そのものをおいしいと感じた事がなく、いつもふりかけをかけて食べていたのだが、葵さんの作ったご飯は、ふり
かけなど要らなかった。
「雅俊君、おいしい?」
「うん。とても。」
僕は、素直に答えた。こんなに素直においしいと言ったことがあっただろうか。
「そう、良かった」
葵さんがにこやかに言うと、
「そうだろう、葵の料理は特別にうまい」
爺さんは、おどけて言った。
「まあ、爺さんたら」
葵さんは嬉しそうに笑った。
僕は、こんなに食べる事が楽しいと感じた事がなかった。いつも、朝食のときは父親が無言なため、母親も無言になり静かな食
事となる。
僕は、食べる事に集中するのだが、味がどうだとかそういうような感情が湧いてこなかった。食べる事は、お腹が減るから食べ
るだけであると思っていたぐらいだ。

食事が終わり僕はとても満腹になり心地良かった。
「雅俊、うまかったか?」
爺さんは僕を見据えて言った。
「うん、とても。」
僕が言うと爺さんは、「そうだろう、そうだろう。」と肯き、「葵は、特別に料理が上手だ。葵がここに来てから、わしは毎日この料
理が食べられる。」と葵さんを見据えた。
「そんなことないですよ。ここの素材がいいからですよ。ここの素材を使えば誰でも同じ味になりますよ。」
「そんな謙遜する事はないだろう。誰にも同じ味はだせないぞ。これは、才能というものだな。」
僕は、爺さんの言う事に納得した。

「雅俊、この卓を見てみるといい」
爺さんは両腕を一杯に広げた。
「わしの腕の長さより長いだろう。この卓はな、葵が来た時と同じ時間が経っているのだ」
爺さんは葵さんを一瞥し腕を組んだ。
葵さんは微笑み僕を見つめ、爺さんを見た。
「キロッキロッオー、キロッキロッオー」
目覚め鳥がひっきりなしに鳴いた。
爺さんは、鳴き声に合わせるかの様に口を動かした。
「雷が鳴り、激しい雨が降っている夏の夜だったな。ちょうど、今ぐらいの時期だ。この家の北側、三百メートル程の所に樹齢三
百年程の大きな檜があったのだ。大人の男が三人手を繋いで周りを取り囲んでも届かないぐらいの太さがあってな真っ直ぐに
そびえていたのだ。
それは、立派な木だったな。
わしは、その夜寝ていたのだがな、雷の音で目を覚ましたのだ。物凄い音がしてな。音の渦の中に巻き込まれてしまったのか
と思ったほどだ。目を開けるとな、火柱がわしの寝ている周りを、子供が遊んでいるように飛び跳ねているのだ。わしは、このま
までは火事になると思いな、急いで火柱を静めたのだ。」
そう言うと、爺さんは卓を手で擦った。その瞬間、卓の上に火柱が現れた。火柱は、黄金色に輝いて線香花火のように火花を
散らしていた。
爺さんは、息を吸ったかと思うと、「はぅっ」という声と共に両手で火柱を包み込んだ。手は黄金色に輝き、輝きは薄れ、普通の
手の色に戻った。
「とな、こうやって静めたのだ。」爺さんはにっこり笑った。
「もう、爺さん、驚かせないで下さいよ。まだ、食事が終わったばかりなんですから。ねえ雅俊君。」
葵さんが僕の方を見て言った。だが、僕は葵さんに返事をする事も出来ず、ただ火柱の残像だけを目で追っていた。
「火柱を静めてからわしは、外に出たのだ、そうしたら、檜が赤く燃えているのだ。雷が落ちたのだな。その時わしは、火を静め
ようと檜の元まで走った。
ひのきは思った以上に赤々と燃えていてな、わし一人の力ではどうにも上手く火を消す事が出来なかったのだ。火はいったん
静まるものの、またすぐに炎が舞い上がる。わしはな、全身の力を込めて火を消そうとして、その場に倒れてしまったのだ。
それで、目を覚ますと朝だったのだな。自分の部屋で寝ていたのだ。
わしが起き上がろうとすると、葵が横に座っていたのだな。倒れた時、葵が家まで運んでくれたのだ。それで、葵に火はどうな
ったのかと尋ねると、火は消えていた。と言ったのだ。これが、葵との出会いだったな」
爺さんはそう言うと、葵さんの方を見た。
葵さんは肯き、真剣な眼差しで僕を見据え、口を動かした。
「はい、そうです。あの晩、私は雷が落ちたところをちょうど見たの。私の家は、爺さんの家とは山を二つ越えた所に有ったの。
私は、母親と二人で暮らしていたのですけど、爺さんと出会う三ヶ月ほど前に亡くなったの。母親は、息を引き取る前「私が居な
くなったら、山の中へ行って、光輝く蝶々を見つけるのだよ」と言ったの。
私は、山の中へは、あまり入った事がなかったの。それに、光り輝く蝶々なんて見た事も聞いた事もなかったから、母親は何か
夢でも見ていたのだと思ったわ」
「光輝く蝶々」
僕は、思わず口にした。光輝く蝶々がどんなものなのか必死に想像していた。
葵さんはにっこり微笑み、「そうよ光輝く蝶々。普通の蝶々とは違うの」と言った。
「もしかして、これも見える人と見えない人がいるの」
「雅俊君するどいね。そうなのよ。これは後から爺さんに聞いた事なのだけど特別な事がないと見えないらしいの、その蝶々
は。それに、光り輝く蝶々の存在は、ごく、希な人しか知らないの。目覚め鳥の声が聞えるからといって、その蝶々が見えると
は限らないの」葵さんは言った。
「僕にも見えるかな」
葵さんは、上を見上げ、爺さんの方を見て、僕の方を見た。
「どうかしらね。私には分からないわ」
「きっと、見えるだろう。雅俊にはその素質がある」爺さんは言った。
「爺さんは、見た事あるの」
「ああ、何回もあるな。この歳まで生きているとな、いろんなものを見てきた。葵が見ていないものも見たぞ」
「どんなもの」
僕が聞くと爺さんは顔をしかめた。
「それはな、聞くものじゃあなくて、見るものなのだ。雅俊がここに来るまですでに色々なものを見ただろう。そういうものなの
だ。」
「ふーん」
僕は、爺さんが言った事が、分かったような分からないような気がした。

「ほれ、ほれ、葵の話がまだ途中だぞ。早く、話の続きをせんか」
爺さんは、にこやかに言った。
「そうね、どこまで話したかしら」葵さんが僕を見据えて言った。
「光輝く蝶々を探しに山の中に入るところだよ」と僕は、言った。
「あら、雅俊君、人の話しはしっかり聞きましょうね。光輝く蝶々を捕まえに山の中に入ったなんて言っていないわ。光輝く蝶々
は、母親が夢でも見ていたんじゃあないかと言ったの。光り輝く蝶々を探しに行くなんていっていないわ」
葵さんは言った。
「でも、探しに行くのでしょう。いいじゃあない」
僕は、珍しく自信をもって言った。普段なら、ただ、謝るだけだったと思う。
「そうね、まあいいわ。それから、山の中に入ったの。最初は、家の周りの山を少し歩いただけだったわ。あまり、遠くまで歩くと
どこだか分からなくなりそうだったし、母親からは山の中には魔物がいるからあまり入ってはいけないと言われていたから、す
こし恐かったのもあるわ。でも、何日かすると山の中を歩くのが楽しくなってきたの。いろんな鳥達がさえずっているし、いろんな
植物を見ていると山の中には、自分の知らない世界があってそれを発見することってとても素晴らしく思えたの。それでね、山
の中を歩きまわる時間が長くなってきたの。」
「それで、蝶々を見つけたんだね。」
僕は、また、話に口を挟んでしまったと思い、思わず口を押さえた。
葵さんはそんな僕を見て、微笑んだ。
「そうよ、ある日、山の中を歩いていると昼間だというのに辺りが真っ暗になったの。魔物が出てくるんじゃあないかと思い、とて
も、恐かったわ。私は、その場に立ちすくんでしまったの。そのうちに、上の方から光が差し込んできたの。柔らかい光だった
わ。その光を見ているとそれが蝶々の形になったの。その蝶々はこのぐらい大きかったわ。」
葵さんは両手で蝶々の大きさを示した。八十センチメートル程の大きさだった。
「でね、蝶々は、ふわり、ふわりと、私の周りを一周してから私の頭に止まったの。その時、急に体が軽くなって宙に浮いている
ようだったわ。
そして私の前に無数の蝶々が姿をあらわし、蝶々の道が出来ていたわ。私はその蝶々の道を歩いたの。
何時間、歩いたのか分からなかったわ。ひょっとしたら何日も歩き続けていたのかもしれない。ある時、すっと、蝶々が私の目
の前から消えたの。そしたらいきなり火柱がみえたの。それが、爺さんとの出会いよ。」
葵さんは、そこまで話すと、目の前にある湯飲み茶碗を両手で抱え口に運びお茶を飲んだ。

僕は、そんな葵さんのしぐさを見ていた。
それから、光輝く蝶々の道の中を歩く葵さんの姿を想像していた。






                    


 


        
トップ1.部屋の中2.夏の冷蔵庫3.爺さんの領域  4.高いところの眺め 螺旋階段



                






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